親から学ぶ機会のなかった母親、療育手帳を保持している母親などに保健師は親族に代わって生活の仕方を手取り足取り支援している。家庭に訪問することで母親の生活、子育ての場面に直に触れ、言葉で表現することが難しい母親の困りごとを把握している。
役場に提出する書類の書き方、沐浴、ミルクの作り方、おかゆの作り方、発熱時の手当、部屋の片付け、学校の先生との連絡など一つ一つを一緒にやりながら母親が自分でできるように支援している。
このような母親への支援は通常の保健指導の数倍もの時間と意欲を必要とする。
行政が行う公助には限界がある。日々の生活は近所同士の助け合いで成り立っている。保健師は地域活動で培ったネットワークを用いて、地域に存在するインフォーマルな社会資源を見つけ出し、母親と地域の人々をつなげて子育てを支援している。
地域の自治会に住宅探しの協力を依頼したり、母子保健推進員に保育所に行く朝の準備を依頼したりした。保健師をはじめ、周りの人々が少しずつボランティア精神を発揮することで、地域で暮らすこどもの生活が安定した。公助に共助を加えることで地域で子育てができる。
地域には親の世代から引き続き保健師等が支援を行っている家庭がある。10年、20年と保健師たちが引き継ぎをしながら支援を継続している。
支援当初は信頼関係づくりと保育園や児童デイサービスなどの社会資源につなげるための濃厚な積極的支援を行い、こどもが保育所、小学校などに通う時期は見守りを行っている。保健師はつかず離れずでこどもの成長を見守っている。
また、保健師等はこどもへの支援だけでなく生活困窮の問題、別居・離婚などの夫婦間の問題、親モデルの欠如など解決が難しい問題を抱えている母親に寄り添っている。こどもがくつろげる家庭環境づくりを目指して支援を行っている。
さまざまな事情で転居する子育て中の家族がいる。転居によって地域の人とのつながりが切れ、新しいつながりを作らなくてはならない。子育ては地域とのつながりを持つことで安定して行える。しかし、対人関係が不得手な母親は新しい地域になじむことができず引きこもったり、近隣とトラブルを起こしたりする。
転入時に支援が必要な世帯を把握できないことも多い。保健師等も転入前の状況がつかめないため戸惑うことがある。支援が必要な家族が孤立することなく子育てをするため、行政の枠を超えた保健師等の連携が必要である。
実家に同居して子育てを行ったり、こどもを預かってくれるなど、母親の育児負担を肩代わりしてくれる実家の支援はこどもの養育に欠かせない。
重度の障害を持っているこどもの子育てや生活力が乏しい母親を、祖父母が支えることで安定した生活を送ることができる。母親だけでは不十分な子育てが、家族の力を集めることで可能になっている。
離婚によって住んでいた家を出ていくなど、生活の土台が変化する。収入が途絶えるなど経済的な問題も起こる。保健師等は離婚した母親が生活基盤を整える過程についても相談にのっている。
また、離婚前から家庭内が不安定になっていることが多く、こどもの心身の発達にマイナスの影響を及ぼすこともある。妊娠中から夫婦仲が悪く、こどもが1歳にならないうちに離婚が成立する場合もある。愛着形成が必要な時期に母親の気持ちが揺れることもある。
子育てはその家庭の文化である。祖父母による子育てを親が受け継ぎ、親は自分の経験をもとにこどもを育てる。10代で出産した母親の親も10代で出産していたり、叩かれて育った親はこどもの躾を同じように行う傾向がある。ドメスティックバイオレンスの家庭で育った年長のこどもが、年少のこどもに対して親から受けた暴力を同じようにふるうこともある。
親以外の周囲の大人の存在によって虐待の連鎖を防ぐことができると言われている。母親やこどもの成長を支える大人の1人として保健師等もいる。
こどもが安全で安心できる生活空間を得るために施設入所を勧めることもある。1日3度の食事、学校に行く時間に起床する生活リズムの確立、友達と楽しく遊ぶコミュニケーション力、働くために必要な学力など社会生活に不可欠な基本的生活技術の獲得が困難な家庭もある。
児童相談所や要保護児童対策地域協議会はこどもの将来を考え、施設の利用を決断することがある。こどもの安全を確保し、成長を保障することは優先事項の一つである。